古代・北辺の交流の要、「こしの国」の古墳を巡る。
古代遺跡の旅【第3回】
【美しい名を持つ、日本海側北限の前方後円墳へ】
■国指定史跡 菖蒲塚古墳(あやめづかこふん)
小雨降る中、趣のある寺院の境内に入っていく。この古刹は「菖蒲山金仙寺」(あやめさんこんせんじ)といって、新潟市西蒲区にある真言宗智山派の寺院だ。創建は治承4(1180)年、源頼政の妻であった菖蒲(あやめ)が夫の菩提を弔う為に小さな堂を建て、観音像を安置したのが始まりといわれている。
境内左手から丘へ続く細い道が続いている。竹林の中を緩やかな小道を登っていくと、ほどなく丘の頂上にたどり着く。このあたりは角田山(かくだやま)から東にのびる台地の先端部になっていて、ここに全長53mの前方後円墳、「菖蒲塚古墳」が静かに佇んでいる。
雨にしっとりと濡れて、緑の古墳がいっそう鮮やかに彩度を増し、本当に綺麗な古墳だ。金仙寺の由来となっている、源頼政の妻、菖蒲の話を聞いたせいか、女性らしくはんなりとした雰囲気さえ感じる。被葬者が男性か女性かは、本当のところは不明だが、後世になって、「菖蒲さんの墓」という伝承もあったそうだ。
墳丘に登ると、平野部の向こうに日本海が広がっているのが見える。ここもまた、素晴らしい眺望だ。ガイドさんによると、この古墳は4世紀後半の築造と考えられ、新潟県内で最大規模を誇り、さらに日本海側北限の前方後円墳だという。
正式な発掘調査は行われていないが、青銅鏡1面と玉類8点が今に残されている。鼉龍鏡(だりゅうきょう)とよばれるこの鏡は、信任の証としてヤマト王権から賜ったものとされ、第1級のステイタスがあったと考えられる。海を通じた交易で力を得たこのあたりの豪族の長が、ヤマト王権から日本海側の北辺の護りを固める重要な役を担っていたのかもしれない。
この古墳に寄り添うように、すぐ隣に「隼人塚(はやとづか)古墳」という直径21mの円墳がある。「菖蒲塚古墳」の被葬者に近しい者、一族の人間なのか、従者の墓として、陪塚のような性格を持つ古墳なのかはわからないという。
「菖蒲塚古墳が築かれた頃、海がどのあたりまで入っていたのか、興味があるところです。前方後円墳の山谷古墳も近在に築かれていますし、つい先頃には、さらに北西の方で前方後円墳が見つかっていると聞きました。日本海沿岸で、古墳文化の『面的』な定着を示す北辺の土地として、この角田山一帯をとらえる必要が出てきました」(今尾先生談)
ひっそりと佇む2基の古墳。古い時代にこれだけの古墳がこの地に築造されていたことに驚く。ヤマトとの距離を思うと、尚更なのだが、地方との距離感は今とさほど変わらないのだろうか。古墳のすぐ際まで、現代のお墓がずらりと並び、古代から現代まで時を超えた墓域独特の不思議な空気が流れていた。